ボディスキャンの項目で、現代人が身体感覚に気づきにくくなってしまっていることについて述べましたが、では昔の人はどうだったのでしょうか。
私は、西洋文化がどっと押し寄せてくる以前の日本においては、多くの人がある程度はっきりした身体意識、特に中心感覚といってもよい身体感覚を持ってい たのではないかと思います。
それは身体についてのさまざまな表現、中でも「肚(腹)」という言葉に関する表現が多数あることから推察できます。「肚をくくる」「肝が据わっている」 「肚ができている」「肚を割って話そう」「肚が大きい」など、中には死語になりつつある表現もありますが、このような言葉が残されていること自体が、肚についての身体感覚を多くの人たちが共有していた証しだと考えられます。
言葉というのは、もともと共通体験を通して生まれます。他者と共同生活する中で、例えば同じものをみるという共通体験を通して、「よし、これを『A』と 呼ぼう」ということになり、「A」という言葉が生まれます。
もしある人が勝手に「B」という言葉を作ったとしても、「B」に関しての他者との共通体験がなければ、意思疎通の道具として「B」という言葉は使えません。また、その共通体験が、ごく一部の限られた人々にしか共有し得ないものであれば、その言葉は広まることはないでしょう。
このように考えると、前述のように肝にまつわる言葉が数多く残っているということは、肚という身体感覚を多くの日本人が共有していたと考えるのが妥当です。
では、この肚という感覚は、いったいどういった身体感覚を指すのでしょうか。 武術をやる前の私がそうだったように、きっと多くの方はこの「肚感覚」がどん な身体感覚なのか、 知識としては知っていても、実際の身体感覚としてはわかっていないかと思います。感覚を言語化することには常に困難がつきまといますが、特に共通体験がないまま特定の身体感覚を言語化することにはそもそも無理があります。
ですので、マインドフルネスで身体感覚に意識を向けたり、これから紹介する練丹法を行うことで、ぜひ皆さんひとりひとりの肚感覚を養っていただければと 思います。この練丹法を行うことで、マインドフルネスには必要不可欠な「身体感覚の変化を感じる」ことについての理解が格段に深まると考えています。
身体感覚が深まるにつれわかってくる微妙なニュアンスの違いがあるのですが、肚・丹田・練丹はそれぞれ、腹・下腹部・腹式呼吸という言葉に置きかえていただいても差し支えありません。
肚を鍛える練丹法
練丹とは、丹田=肚を練る(鍛える)ことで、現在では武術をやっている方以外にはあまりなじみのない言葉かと思います。丹田とは、もともと道教の言葉です。東洋の文化においては、古くから「気」のような何らかの生命エネルギーが存在すると考えられてきました。
そして例えばインドのヨーガでは、エネルギーの中心となる場所は7つのチャクラであると考えますし、中国の道教では上丹田・中丹田・下丹田の3つであるとしています。
このなかの下丹田が、日本ではいわゆる丹田と呼ばれている場所です。このように、インドにおいては7つ、中国においては3つと考えられたエネルギーの中心が、日本ではただ1つ、丹田にあるとされたことは興味深く、簡素を重んじる日本文化の特性を表していると思います。
なお、すでに述べたように、へその下三寸のところにあるという意味で、臍下丹田と呼ばれることもあり、武術や練丹法について書かれた古書をひもとくと、 いたるところに「臍下丹田に気を沈める」という表現をみつけることができます。
さて、丹田という言葉同様、練丹法のルーツは道教ですが、練丹法は単なる呼吸法、健康法というよりも、先の表現にもあるように「気」を養うための修練法 でした。
「気」は科学的には証明されていませんが、中国古代哲学や東洋医学の根幹をなす概念であり、現代の日本でも気に関する言葉が日常生活の中でどれほど使われ ているか、枚挙に暇がありません。 「気の存在や動きなどに伴う感覚を気感といいますが、私が皆さんに練丹をおすすめする理由のひとつは、練丹によりこうした「気感」を養うことが、マインドフルネスには必須である身体感覚を抱くことに大いに貢献すると考えているからです。
このような気の感覚は、武術的には相手と繋がる感覚と関連するのですが、さらに先に述べた自分よりも大きな存在と繋がる感覚に発展していく可能性がある と考えています。身体の中心あるいは重心としての胚の感覚がわかってくると、軸がぶれないしっかりした身体を作っていくことができます。このことは同時に、ぶれない心を育むことにもなります。
皆さんは、「悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか」と聞かれたら何と答えるでしょうか。「そんなのは悲しいから泣くに決まっている」という声が聞こえてきそうですが、どうやら必ずしもそうではないらしいのです。
心理学者のウィリアム・ジェームズとカール・ランゲは、「末梢の身体生理的変化を脳が知覚したときに感情が起こる」と考え、実験でいくつかの例を検証し、 この問いに対して「泣くから悲しい」のだ、と答えました。
もちろんすべての生理現象がこの理論で説明できるわけではありませんが、この説に基づけば、肚を整えることが心を整えることに直結するということが理解しやすいかと思います。
実際に、気持ちが揺れ動いているようなときには姿勢が悪かったりするものです。そんなときには、まず姿勢を正し、これからご紹介する丹田呼吸法で肚を整 えるようにしてみてください。
丹田呼吸法
丹田呼吸にもさまざまな方法があります。非常にシンプルな方法をご紹介しますので、入りやすく続けやすいと思います。
姿勢は、別ページで紹介した呼吸に意識を向ける瞑想と同様です。空気中のエネルギー (気)を取り入れるようなイメージで鼻から息を吸いながら、腹部全体が(上腹部・下腹部ともに)膨らむようにします。
続いて、取り入れた気のエネルギーを下腹部(丹田)にとどめるような気持ちで、下腹部はへこまさず、上腹部はへこませながら鼻から息を吐きます。このときには、下腹部はむしろやや突き出すような感じになります。
ここでの注意点としては、上腹部、特にみぞおちに力が入らないようにすることです。みぞおちに力が入ってしまいやすい方は、下腹部にエネルギーを貯める ような感覚についてはいったん忘れて、まずはみぞおちの力を抜くことを優先させてください。非常にシンプルな方法ですが、次第に丹田の感覚が養われていき ます。