「悲しい」も「嬉しい」もひとつずつ学んでいくもの
人との関係作りは、自分の思いや感情を伝えてわかりあうという経験が前提になります。
しかし、「感情」というのは目に見えないので、わかってほしいと思っても、それをどうしたら伝えられるのか、子どもにとって最初は難しいものです。
それを伝えるには、その感情が言葉と結びついている必要があります。子どもが喜んでいるときや泣いているときに、大人が「嬉しいね~」「どうしたの? 悲しいの?」と声をかけることによって、子どもは自分が感じている感覚が「嬉しい」とか「悲しい」という言葉で表現されるんだと覚え、自分の感情を言葉とつなげることができるようになります。
とくに、「怒り」や「悲しみ」といった強い感情を感じたとき、子どもは自分の体のなかに感じたことのない"ざわざわした感覚"が走ってパニックになることもあります。
そのとき、その変化に大人が気づいて「怖かったのね」「悔しかったのね」と言葉に置き換えてあげないと、子どもはその"ざわざわした感覚"が何であるかがわからないままになってしまいます。
感情は言葉と結びつくことによって、人に伝えることができるものになり、自分の感じている感情を人と共有することができるようになります。
この「感情に名前をつける」ということによって感情が整理でき、「自分の感情が人に伝えられるものになる」ことを「感情の社会化」と言います。
怒りも大切な感情
子どもも大人と同じように、ポジティブな感情だけでなく、ネガティブな感情もどく自然に持ちます。当然、怒ることも嫌がることも泣きわめくこともあります。
成長過程においては、すべての感情が大切なのです。
でもそこで、もし日常的に「怒らないで!」「泣かないで!」「グズグズ言わないで!」と繰り返し言い続けられると、どうなるでしょう?
まだ柔軟な子どもは、その「感情を感じないように」必死に我慢します。 そうすれば、それ以上怒られませんし、何よりそうすることで、親の期待に応えられるから。
しかし、自分のなかに生まれた感情をなかったことにしたり、そう感じる自分を否定していくと、感じているネガティブな感情はそのまま残って、混沌として整理できないまま置き去りにされてしまうことがあります。
お母さんに目を向けてもらえなかった感情です。
子どもの体も頭も成長していくのですが、その置き去りにされた感情だけが成熟しそびれて、大人になっても、子どものときに抱えたまま、その感情から抜け出せなくなってしまうことがあるのです。
「感じてしまう自分がいけないんだ、この感情は感じてはいけないんだと自己否定したり、それを感じることに罪悪感を伴ってしまうのです。
お母さんが子どもの「悲しみ」や「恐怖」「不快感」など、ネガティブな感情を見ないようにすることは、子どものその感情が社会化しないことになります。
まずは「そうね」と受け入れる
人の気持ちがわからないことで起こるコミュニケーション能力の問題。幼少期に見落としたものが顕在化するのは、思春期以降がほとんどです。
うまく気持ちを伝えられないことで、人間関係にストレスを感じたり、交友関係に自信を失ってしまったり、大人になってなお、感情表現の問題で苦労している人は多くいます。
感情表現の力を育てるためには、子どもの感情がきちんと言葉とリンクする機会を増やすことと、子どもがどんな感情を抱いたとしても、それが否定されない経験が大切です。
たとえば、子どもが「これほしい」と言ったとき、「ダメよ、そんなのいらないわ」「なんでそんなのがほしいの?」と親から言われては、ほしいと思う自分を否定されていると感じてしまいます。
一方で、「いいわね。それ、かわいいわね」「でも必要かどうかもう一度考えてみましょう」と言われたら、「いいな、ほしいな」と思った自分の気持ちは肯定されます。
買わないという判断をしたとしても、ほしいと思った気持ちは否定されていません。「かわいい」と思うことと「買う」かどうかは、別のこと。「かわいい、ほしい」と思った子どもの気持ちを共感してあげることで、子どもの自己肯定感は守られます。
子どもが感情をぶつけてくるとき、大人は一足飛びに「その結果の行動」(つまり、買う必要があるかどうか)を判断したくなりますが、子どもには、その前に、感じているものをそのまま受け入れられてこそ、次の行動を考えられるのです。
否定され続けて育てられた子どもは、どう成長していくと思いますか? 「自分はダメな子なんだ」と極度に自己評価が低くなったり、「誰も自分をわかってくれない」と孤独感の強い子に成長してしまう危険があります。 子どもがやさしい子に育つには、自分自身がやさしく扱われることが必要です。 お母さんも自分の気持ちを大切にし、子どもの気持ちも否定しないコミュニケーションを心がけたいですね。